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 かかりつけ医通信    第76号   2005年3月4日発行
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    健康・医療のお役立ち情報・・・医療の現場から
 私達は、医療の現場で働く臨床医です。実際の診療やネット上から
 得た健康と医療の役に立つ情報を、市民の皆さんにお届けします。

 今年の冬は各地で大変な積雪ですが、皆様のところは大丈夫でしょうか。
 75号の「医療の倫理性と質の維持」に対して、「医療事故を起こした医療従
事者に対する処分が甘すぎるのではないか」というメールを読者からいただき
ました。大変重要なご指摘ですので、医療事故の現状と対策について、特に、
「処分を重くすること」も含め、どのような対策が、医療事故を減らすのに、
実際の効果があるのかを考えてみます。
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▼目次▼

●医療事故について
 ○読者メール
 ○はじめに
 ○医療事故の現状について
 ○日本の対策の現状
 ○医療事故に対する考え方
  1)医療過誤危機:医師の廃業や逃亡
  2)防衛医療(保身医療Defensive Medicine)
 ○ 事故の事例分析
 ○訴訟は医療過誤を防止しないし被害者を救済しない
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●対策
 ○職場環境の改善
 ○労働意欲を維持することが大切です
 ○コストをかけなければ医療の質は低下する。
 ○訴訟から独立した救済制度
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●読者メールより かかりつけ医通信75号を読んで
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 最近の医療事故の乱発は、患者にとっては死活問題であり、事故を起こした
医療従事者に対する処分が甘すぎるのではないかということは、だれでもが感
じているところです。
 例えば運転免許などは、これも生死に関わる免許制度ですが、5年に一度は
更新があり、事故多発者に対しては、免許停止のみならず、再犯者に対しては
免許取消処分もありますが、医師業務停止処分は短期間で軽く、免許取り消し
は聞いたことがありません。

 研修をさせればいいではないか、弁護士制度にも更新制度が無いとのお話で
すが、弁護士がミスをしたからといって死につながることは無いでしょうが、
医療従事者のミスは死に直結します。運転免許にさえある免許更新と、免許取
消制度は是非早急に導入すべきと考えます。

 発信者:藤沼 智弘さん
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●医療事故について

○はじめに
 日本においては、現在医療事故の増大が問題になっております。由々しき事
態です。医療への信頼が失われれば、健全な医療は行えません。現状と対策を
考えて見たいと思います。

○医療事故の現状について
 厚生労働科学研究班は04年度から3年計画で全国の医療事故発生率を割り出
すカルテレビューを開始。9月7日の中間報告では6病院のカルテ分析で,有害
事象発生率は10.5〜12.8%でした。
米国での報告はHarvard Medical Practice Study(HMPS)があります。
その内容は
1)3.7%に医療事故が起き,そのうち27.6%が過誤によるものであった
2)訴訟の勝ち負けは過誤の事実とはまったく関係のないところで決まってい
る。医療過誤にあった人のほとんど(280人中272人)が損害賠償を請求して
いない一方で,「過誤」に対する損害賠償の訴えのほとんどは,実際の過誤の
有無とは関係のないところで起こされていたとあります。

参考文献
医療事故刑事責任に関する研究
http://www.jmari.med.or.jp/research2.php?no=233
刑事事件にまで発展した医療事故について過去の事例の検証と、防止策、刑事
処分を厳罰化することの有効性と弊害を考察した。医療事故が多発する中で、
今後、医療事故刑事処分の厳罰化を求める気運が高まることが考えられるが、
短絡的な議論は患者、医療双方にとって好ましくない結果をもたらす恐れがあ
り、慎重な対応が望まれる。
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○日本の対策の現状
 03年1月に,産科事故を繰り返した医師を野放しにしていたとして患者側が
医師の過失と国の放置を問う訴訟を起こしたことから,「リピーター医師」問
題が注目され始めました。日本産婦人科医会は04年2月,会員に医療事故の報
告を義務づけ,リピーター医師に対して指導や勧告を行い,それに従わない場
合は除名処分も検討することを決定しました。

 日医は04年9月,リピーター医師や行政処分を受けた医師を対象に倫理教育
や技量の確認を再教育するための「医療安全再教育制度(仮称)」を2005年
度から発足させると発表しました。なお,医業停止処分になった医師がその期
間終了後自動的に復帰できることに対して厚労省は10月,医業停止処分になっ
た医師の再教育を来年度から試行する方針を明らかにしました。

 厚労省は9月21日付けで医療法施行規則(省令)を改正し,特定機能病院,
大学病院(本院)−などの病院に事故事例の報告を義務づけました。発生日時・
場所,患者の性別・年齢・病名,関係した医療機関関係者の経験年数,専門医
資格の有無,事故の内容などを発生から2週間以内に報告することになってい
ます。
これを受けて財団法人日本医療機能評価機構は10月1日から「医療事故情報収
集事業」を開始しました。

 現在の日本では、医療過誤を起こせば業務上過失致死など刑事罰と同時に、
民事訴訟があり、同時に医道審議会による罰がまっております。

参考文献
医療安全推進総合対策〜医療事故を未然に防止するために(厚労省)
http://www.mhlw.go.jp/topics/2001/0110/tp1030-1y.html

医療安全対策について
http://www.mhlw.go.jp/topics/2001/0110/tp1030-1.html

安全対策室(日本医師会)
http://www.med.or.jp/anzen/index.html

医師及び歯科医師に対する行政処分の考え方について
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2002/12/s1213-6.html

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○医療事故に対する考え方
 医療事故をおこした医師に対し、罰則を厳しくすべきだと言うご意見も多く
あります。特にリピーター医師に対する風あたりが強いわけですが、事故を起
こした医師に対し、単に罰を与えるのが目的なのか、あるいは医療事故を減ら
すのが目的なのか、その目的を明らかにする必要があるでしょう。

単なる罰則を目的とするなら、訴訟の増加とともに、以下のような現象が起こ
ります。
1)医療過誤危機:医師の廃業や逃亡
 米国のラスベガス市では医療事故の増加のために、廃業したり,診療オフィ
スを閉じて他州に引越したりする医師が続出し,医師不足が到来しています。
 過誤保険の保険料の高騰は,特に,産科・救急外科など,過誤訴訟のリスク
が高い科の診療にたずさわる医師を直撃しました。それまで,年4万ドルだっ
た保険料が,年20万ドルを超すことになった例も稀れではありませんでした。
また保険会社が保険を拒否しはじめました。
 
2)防衛医療(保身医療Defensive Medicine)
 米国議会技術評価室は,Defensive Medicineを「主に医療過誤の賠償責任に
さらされる危険を減ずるために医師が行なう検査・処置・診察。あるいは,反
対に,医療過誤の賠償責任にさらされる危険を減ずるためにリスクの高い患者
の診療を忌避すること」と定義しています。医療訴訟が増加すれば、「医療過
誤訴訟で訴えられたり,訴訟に負けたりしてはかなわない」という恐怖心がお
こり、防衛医療が起こります。
 患者の利益を主目的としない医療行為は「First, do no harm(まず何よりも
患者に害をなすなかれ)」というヒポクラテスの誓い以来の医療倫理にもとる
ものです。現代の医療には「科学的エビデンスで決められるスタンダード」
とは別に,判例や患者が抱いている根強い先入観などの「社会的条件で決めら
れるスタンダード」とがある現実を示しています。 Defensive Medicineによる
医療費の「無駄使い」も無視できない額です。
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○ 事故の事例分析
 事故の当事者となった医療者に対し「業務上過失致死・障害」などの「犯罪」
責任を問うことを最優先するシステムを運営することで,「隠す文化」はさら
に助長された。4000年近く前,バビロン王朝は「手術に失敗した医師は両手を
切り落としてしまえ」とハムラビ法典に定めたが,日本の社会は,4000年前と
変わらぬ発想で医療事故・過誤に対し刑事罰で臨むという対処を続けてきたの
です。「医療の場に事故があってはならない」というドグマが幻想にすぎな
いのと同じように,「医療事故に対して刑事罰で臨めば『一罰百戒』の効果が
あり,医療事故がなくなる」というドグマもまた幻想でしかありません。
 なぜならば,医療の場で起こる「誤り」とは,多くの場合,「誤り」の当事
者が根本原因となって起こるのではなく,システムそのものに内在する根本的
な「欠陥」が顕性化するに過ぎないからです。
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○訴訟は医療過誤を防止しないし被害者を救済しない
 HMPSのデータが正しいとすると,過誤訴訟の結果が,医療「過誤」を防止す
る努力や医療の質の向上をめざす努力を奨励するという学習効果を及ぼすこと
は期待しえません。医療の質を本当に向上させることよりも,訴訟に負けないこ
とが優先されることになります。だから,米国の医療にDefensive Medicineが
横行することになったのです。残念ながら刑事罰に再発防止効果なしということ
にもなります。
 過誤の被害を受けた患者が訴訟を起こさなければ被害に対する救済を受ける
ことができないという制度は,救済制度として機能していないだけでなく,医
療過誤の防止という観点からもよい制度とはいえません。被害者の御家族にと
っても負担の多い制度といえるでしょう。

 医療事故の被害者のシェリダン女史は,医療過誤訴訟によって医療過誤の被
害を救済するという現行制度について次のように述べました。
 「訴訟だけが取りうる手段なのでしょうか? 医療過誤の被害者に残された
唯一の救済手段が,情報開示を妨げ,医療制度の変化に一切寄与しないもので
あるということは,まったく逆説的であると言わなければなりません」

参考文献
週刊医学界新聞
第2回 ラスベガスの医療危機
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2481dir/n2481_06.htm
第3回 Malpractice Crisis(医療過誤危機)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2483dir/n2483_04.htm
第4回 Defensive Medicine(防衛医療)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2487dir/n2487_02.htm
第5回 Harvard Medical Practice Study (医療過誤と医療過誤訴訟)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2489dir/n2489_05.htm
第6回 スーザン・シェリダン
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2492dir/n2492_03.htm
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●対策
○職場環境の改善
 現在の日本の医療労働環境は、長年の低医療費政策により、設備は劣悪であ
り、労働過重に陥っております。しかも低賃銀です。医療の生産性の向上とは
医療の質が向上し、医療事故が減ることでしょう。ではどのようにすれば、医
療の生産性が上がるのでしょうか。
文献によれば
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 「個」が有効に活用され、開発され、従業員1人ひとりがのびのびと活動で
きる組織は、業績も上がり、従業員も満足する組織で、それは人的資源管理
(HRM;human resource management)がうまく機能している組織である。
その構築のポイントになるのは、従業員各人が組織の期待のもとで自主的・自
律的に活動し、自らのキャリア形成を充実しうるように工夫することである。
組織にとって必要なもの、期待するものを明確にし、その上で、いろいろな面
で選択可能性を拡大し、従業員自らの責任の上で各人の可能性をできるだけ伸
ばせる組織をつくることである。

○労働意欲管理
 日本的特徴であるTQM、TPMや後で述べる安全管理の小集団活動は、Y
理論による労働者の人間性を信じることに基礎が置かれている。
 人間が学習するということは、自発的な意志に頼らざるを得ないのです。外
から統制したり、脅かしたりすることによって、人は仕事をするかもしれない
が、成長することはない。確かに性善説を唱える孟子的人間観は存在し、人間
は自分が立てた目標のために働く本性を持っている。人間を大切にし、人間の
持っている素晴らしい可能性に期待するからコーチングは成り立っているので
す。
-----------------------------引用終わり----------------------------

○労働意欲を維持することが大切です
 労働によって自分の本領が発揮でき、労働に最大の生きがいを見出せるよう
にする必要があります。自分の仕事の社会的役割を自覚して、誇りを持って働
く事がやはり一番大切です。労働を通して社会的に人々と繋がっている事の自
覚が、気概を育てます。

 労働に自信とやる気を起こさせてくれるのは、自分の創意工夫が役に立ち、
労働条件を改善し、品質や生産性を向上できて、自己実現の充実感を味わうと
きです。たとえばロシアのように、(あるいは低医療費政策などで)この二
十年来全く生産設備が更新されず、次第に部品の在庫が尽きて生産縮小する
ようだと、確実に気概を喪失します。また労働条件が余りにも酷過ぎて、自
分ばかり犠牲にされていると感じれば、誰でも気概が失せるものです。
 あるいは医師を様々な規則たとえば免許更新制や、罰則などで、ブロイラー
のごとく、ひたすら細かく管理して生まれるのは、職場と精神の荒廃ではない
でしょうか。
 労働現場の生産性を極大にするためには、刺激に満ちた自由で闊達な空間を
作り上げることかと思います。労働意欲を保つことが最重要課題である。医療
現場でこそ、最新の人間工学の成果をきちんと生かすべきと思います。

参考文献
医療労働者の実態
http://www.orth.or.jp/seisaku/sendai2004/content/roudousya.html

生産管理講座 - 人的資源管理
http://www1.harenet.ne.jp/~noriaki/link77-2.html
疎外の克服と気概
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/crisis/3no8.htm
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○コストをかけなければ医療の質は低下する。
 医療に投資をしないで、資格やEBM、その他第3者評価機関、種々の規制に
よって質の向上を果たそうというのはかなり無理があります。EBMひとつ作る
にもコストはかかるわけです。医療の質の向上をと言うなら、まずは財源と人
材の確保をはかるべきです。コストをかけないでよい人材は集まらないし、質
の向上も果たせません。医療の財源確保が最優先課題です。

医療にもっと投資を
http://www.orth.or.jp/seisaku/akita/content/tousi.html

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○訴訟から独立した救済制度
 再発防止と被害者の速やかな救済を最優先とするためには,損害賠償請求訴
訟とは独立の救済制度を社会に用意することが最も合理的でしょう。
 米国のJCAHO(医療施設評価合同委員会)では病院などの医療施設で発生し
た個別の医療事故・過誤についてJCAHOがデータを集積し,「根本原因分析」
を加えた後に,類似事故の再発防止策について全米の医療施設に情報を提供し
ています。
 スウェーデンでは,「過失の有無」を補償の基準にするのではなく,「避け
得た医療事故であったかどうか」という基準で被害が補償される制度となって
います〔「No-fault compensation system(無責救済制度)」という〕。
 各医療機関には,医療事故に対する被害補償申請用紙が用意され,当事者と
なった医師は患者の補償申請に進んで協力し,医師が患者の医療事故の補償申
請に協力することは,今や,日常の医療行為の一部とまでなっていると言われ
ています。ハーバード大学公衆衛生学部のブレナンらは,スウェーデンの制度
を米国に当てはめた場合,過誤訴訟に基づく現行の制度よりも社会のコストは
安く上がるという試算結果を報告しています(JAMA, 286巻217頁,2001年)。

週刊医学界新聞
第7回 医療過誤訴訟に代わる制度
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2494dir/n2494_04.htm
第8回 No-fault compensation system (無責救済制度)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2497dir/n2497_02.htm
第9回 次の犠牲者を出さないために
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2500dir/n2500_03.htm
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