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 かかりつけ医通信    第42号   2002年10月24日発行
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    健康・医療のお役立ち情報・・・医療の現場から
 私達は、医療の現場で働く臨床医です。実際の診療やネット上から
 得た健康と医療の役に立つ情報を、市民の皆さんにお届けします。
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▼目次▼
1) 「マスコミよ、しっかりして」
   天声人語の「医療者よ、しっかりして」に対する私たちの意見
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1)「マスコミよ、しっかりして」

●私たち医師の目から見ると、所謂、大新聞と言われるものの中でも、その記事
は玉石混淆、まさにピンキリであるのに驚かされます。例えば、10月18日付「天
声人語」で執筆者が患者の声の代弁の形をとり「医療者よ、しっかりして」と書か
れております。
この記事をご覧になっていない方のために、元になった《天声人語》10月18日を
全文引用します。
http://www.asahi.com/paper/column4.html
---------引用ここから----------------------------------------------
手術件数が一定数に満たないと、保険から病院に支払われる手術代が安くなる。
こういう制度が4月から始まっている。手術の腕は、数をこなさなければあがら
ない。件数の少ない病院は、技術が十分磨かれていないと考えられるから支払い
を減らす、という理屈だ。
 例えば心臓のバイパス手術は年間100件が基準とされた。これを満たさない
病院は6割にのぼる。病院関係者からは改革への反対論がこぞって出された。
理由の一つは「件数を満たそうと不要な手術が行われるようになる」というもの
だった。患者のためにならないと心配する声は、今も聞かれる。
 おそろしいことだ。制度改革が、ではない。お金のために不要な手術もありう
ると当たり前のように考える日本の医師たちが、である。
 バイパス手術を年に200例以上執刀する南淵(なぶち)明宏さんは今回の改
革を支持する一人だ。脳や心臓などの難しい手術については、安全性を高めるた
め各県に1カ所程度に集中させるのが望ましいと考える。それが世界の常識だと
も話す。
 「医療不信とは患者が病院を信用しないことだけれど、より深刻なのは医療者
どうしの相互不信ではないか」と南淵さん。専門医がほかの専門医を信用してい
ない。それだけではない。あちこちの病院を訪れてみて、看護師や臨床工学技士
らと医師の間に信頼感が欠けていると実感することが少なくないという。
 不要な手術への懸念が出るのも医師が医師を信頼していないからにほかならな
い。患者側としては「医療者よ、しっかりして」と叫びたくなる。
----------引用ここまで---------------------------------------------
●なるほど、と思われたかも知れませんが、さて、この文章、そのまま、
「マスコミよ、しっかりして」と置き換えて見ましょう。

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「マスコミよ、しっかりして」

購読者数が一定数にみたないと、新聞社の広告がやすくなる。
こういう制度は昔からある。大衆受けする文章を書く腕を上げなければ数は上が
らない。購読者数が少ない新聞は、その技術が十分磨かれていないと考えられる
から収入が減る、という理屈だ。
 新聞社関係者からこの制度への反対論が こぞって出された。理由の一つは
「購読者数を満たそうと人気取りの記事が書かれるようになる」というものだ
った。購読者のためにならないと心配する声は、今も聞かれる。
 おそろしいことだ。制度改革が、ではない。お金のために不要な記事もありう
ると当たり前のように考える日本の記者たちが、である。
・・・(途中略)・・・
 不要な記事への懸念が出るのも記者が記者を信頼していないからにほかならな
い。読者側としては「マスコミよ、しっかりして」と叫びたくなる。
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●ここで最初に挙げた「天声人語」の記載内容に、現場の医師として反論してみ
ます。この反論においても、常に医療者とマスコミとの対比を念頭に置いてお読
み頂ければ幸いです。

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 「天声人語」の内容は、“特定の手術に関して、その手術件数が一定数を満た
ないと、3割カットされる”減算が今年4月から始まり、病院関係者から「件数
を満たそうと不要な手術が行われるようになる」と心配する声が聞かれ、「不要
な手術への懸念が出るのも医師が医師を信頼していないからにほかならない」と
執筆者は断言しています。

確かに症例数の多い術者・施設では特定の疾患に関して予後や生命の質に関して
影響があるという論文が出ております。ただ、今回の減算の対象とされた手術全
てに検討されたわけでもありませんし、日本の医療システムでの検討でもありま
せん。この減算の根拠は、質の高い医学研究に基づくものではないのです。

南淵氏主張の各県1施設集中となれば、競争原理は働きません。
その後発生する寡占状況による弊害は十分に想像できるものです。
治療の選択肢の減少につながるのです。強力な権力者の出現を他地域との交流
不足の地域では生むことになりますし、人口の多い地域でも、現医療体制の利点
である、だれでもどこにでも受診できる“フリーアクセス”の制限を生じること
になります。

問題の「不要な手術への懸念」ですが、手術をするしないというのは最終的には
患者さんにその決定権があるのは当然ですし、その適否は決してクリアカットな
ものではありません。そもそも、患者さんに対する医療上の意志決定は、医学的
背景だけでなく、その患者さんをとりまく社会的・経済的・環境的などの多くの
背景によりなされるのです。その他に、医師の積極的姿勢が患者さんの意志決定
に影響を与えることも有るかもしれません。ほぼ同じ結果が得られるのなら施設
の方針として積極的な方向に転換し、それで患者さんの意志決定がなされるのな
ら誰からも批判されるべきものではないのです。「医師が医師を信頼していない
からにほかならない」から批判しているというのではなく、疑念を生じるかもし
れない減算のシステムに批判をしているという方が正しいと思います。
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マスコミ、必ずしも正しからず、ミニコミ、必ずしも危うからず、と思うの
ですが、さて、皆さんはどうお考えなのでしょう。

●医学というのは実践に役だって初めてその価値があるものです。
臨床の現場にいる医師・医療関係者が真摯に感じる疑問は、マスコミにはなかな
か判らないのかも知れません。多面的に様々な現場の医師の声を取り上げるので
はなく、都合の良い声だけを取り上げて世論を誘導する天声人語のあり方に対し、
疑問を感じざるえません。

「減算されるのならグレーゾーンも手術しましょう」とは、まさに市場原理その
ものです。この言葉を批判しながら、その一方で医療現場への市場原理の導入を
叫ぶ自己矛盾に、マスコミもそろそろ気付くべきだと思います。
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●参考までに、手術の施設基準とは平成14年4月の診療報酬改定で定められた
施設基準です。「一定以上の難易度および点数単価の手術について、年間症例数
等の一定の要件を満たさない施設においては、手術料について点数を引き下げ
規定の70%とする」というもので、下記のような110の手術が指定されていま
した。
 脳外科  頭蓋内腫瘍摘出術 脳動脈瘤手術 
 胸部外科 肺切除術 肺悪性腫瘍手術
      食道悪性腫瘍手術 食道手術後2次的再建術
 心臓外科 ペースメーカ移植術 
      冠動脈・大動脈バイパス移植術
      経皮的冠動脈形成術

ところが、脳動脈瘤や心臓バイパス術などで全国的にも基準を満たさない空白の
県もあることが分かり、多方面から反対の意見が強く、厚労省は8月には新しい
施設基準を発表し、10月から上記の基準は緩和されています。届け出区分が再編
され、手術件数も各グループで調整され、基準を満たさなくも(60%以上)、執刀
医が学会認定の専門医であれば減算を行わないことも加えられました。

10月18日の天声人語では、執筆者は新しい制度はご存じないのか、古い基準で
記事を書いておられるようです。すでに改訂された制度を知らずに記事にするこ
とも記者としてしっかりしていただきたいものです。
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